「情報によって珍鳥を見に行く」という行為は、そもそもその珍鳥を見つける人がいて初めて成り立つ行為だ。もちろん珍鳥を見に人が集まった場所でさらに別の珍鳥が見つかる、ということもあるだろうが、しかし実際には、珍鳥を見つけた人自身は実は普段全く珍鳥志向なわけではなく、むしろごく平凡な身近なフィールドで地道に観察を続けていたらある年思いがけず珍鳥に出くわした、というケースはかなり多いはずだ。ということはつまり、もしも世の中の全員が情報によって珍鳥を見に行く側の人ばかりだったら、肝心の珍鳥自体がなかなか見つからず、情報そのものがあまり発生しないことになる。情報によって珍鳥を見に行くこと自体は別に悪くはないと思うし、私自身も時々はやることだが、それ自体見に行く側の人だけで成り立っているわけではないという当たり前のことだけは、せめて忘れないようにしたいものだと思う。