2014年 01月 25日
今年も餌付け規制問題を考える
a0044783_20222020.jpgこの時期になるとあまり考えたくない餌付け規制問題をどうしても考える機会が多いので、以前と重複する点もあるが今年も少しだけ思うところを書いてみる。

 一例として、「餌付けによって日本のカモやハクチョウの数が増えると、繁殖地のシベリアの生態系を変えてしまう」というような言い方がある。つまり例えば数が増えれば彼らが繁殖地で餌としている特定の動植物がより消費され、またそれを餌としていた他の動物も減るというように、日本での餌付けの影響が思わぬ遠いところにまで及ぶ―といったことだ。

こうした言い方は確かに一見なるほどと思わせるのだが、そこでふむふむと感心する前に、何か重大なことを忘れていることに気付かなければいけない。特に日本ではこの戦後70年弱の間に、それこそとんでもない面積の湿地や干潟(―つまり彼らの餌場)が開発によって恐るべき勢いで失われているのであって、この時点で俗にいうところの「自然本来の生態系のバランス」は既に大きく崩れている。しかもこれは越冬地での個体数の維持、ひいては繁殖地への帰還率にとってはマイナスの方向へ崩れているはずであり、それを忘れて餌付けによる個体数の増加だけに注目していては、物事の本質を大きく見誤ってしまうことになりかねない。 

ただしここでくれぐれも誤解のないように書いておくと、私はもちろん餌付けがそのまま開発で失われた自然の代用になるとか、だからじゃんじゃん餌付けをしましょうと言っているのではない。オナガガモのように餌付けで増える種とそうでない種がいることを見てもわかるように、昔の豊かな日本の自然が支えてきたものと、餌付けで一部補填できるものは内容が大きく違うことは明らかだろう。 

ただそれにしても、近年の餌付け規制論は、とかく「餌付けの問題点」や「生態系への影響」を並べることに専心するあまり、上記のような人間が自然に与えている餌付け以外のありとあらゆる甚大な影響を含む広い視野をすっかり忘れた、極めてバランスの悪いものになりがちであることには強く疑問を呈しておきたい。またその際には、普段さほど鳥に興味がない一般人や子供でも光学機器を通さずに身近に野鳥の姿に触れられる―といった、餌付けについて考えられるプラス面はまるで無視される傾向が強いのも気になるところ。 

もちろん確かに今後考慮または解決されていくべき問題点もあること自体に異論はないが、例えば広大な野山を根こそぎ潰して造られたニュータウンの、コンクリートプールのような人工池に立つ「生態系に悪影響を与えるので餌付けは止めましょう」といった立看板の抱える矛盾といったものについては、ぜひ多くの人が冷静に見極めた上で物事を考えていってほしいし、ましてやどこでも単に餌付け禁止で鳥を追い出せば失われた“自然本来の生態系”が帰ってくるかのような誤解がこれ以上一般に広まることは避けたい。明らかな実害や危険性が認められるものを規制するのはともかく、このまま日本の隅々にまで画一的な規制が進むことについては、社会に精神的なゆとりの部分を残すという意味でも少し慎重であるべきではないかと考える。



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by Ujimichi | 2014-01-25 21:58 | 餌やり規制問題について


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