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2013年 01月 31日
タイミルセグロカモメ
一昨日の画像からタイミルセグロカモメ。カモメ類はほんとに数えるほどしかいなかったが、そのうちの1羽がこのタイミルだった。やはり換羽は遅めでP10が伸長中。ところで左右ともP3が欠損しているのは何故だろう?

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タイミルセグロカモメ

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タイミルセグロカモメ
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by Ujimichi | 2013-01-31 20:10 | カモメ

2013年 01月 30日
ミミカイツブリ
ハジロカイツブリより遥かに少ないイメージが強いが、今回は思いの外ちょこちょこ見かけた。ただしよく潜る鳥なので何羽いたのか今一つよくわからず。

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ミミカイツブリ

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ミミカイツブリ
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by Ujimichi | 2013-01-30 22:32

2013年 01月 29日
アメリカヒドリ
毎年渡来しているアメリカヒドリ♂。ついでに♀もいないかと思ったが見た範囲では見つからず。

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アメリカヒドリ
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by Ujimichi | 2013-01-29 23:16 | カモ

2013年 01月 25日
「餌」と「食物」
a0044783_226419.jpgちょっと思い出したことを少し。

父が「オオタカ観察記」の原稿を執筆している頃、文中に出てくる「餌」という単語について、編集者から「“餌”は人間が与える食べ物の意味になるので、“食物”に変えた方がよいのでは」という旨の指摘があった。父としては別段どちらでもよいと思っていたので結局は「食物」に変えたようだが、実は私自身はこの件については未だにちょっと、いやかなり納得していないところがある。

一般に「餌」という言葉が「人間が与えるもの」というニュアンスで使われる機会は確かに多い。しかし少なくとも私の中では、「餌」とはあくまで単に「人間以外の動物が食べるもの」という極めて単純明快な定義があり、「人間が与えるかどうか」を基準にするという発想は全くなかったからだ。

そこで以下に私なりの想像をしてみると、「餌」の元々の意味はあくまで私が思う「人間以外の動物が食べるもの」であったが、たまたまそれが人間が与える機会が多いことから結果的に「人間が与えるもの」という印象が一般に広まり、それがあたかも元々の意味であるかのように誤解されていったのではないのか?という気がしている。確かに辞書でも「人間が与えるもの」という意味合いの説明をしているものは多いが、例えばkotobank.jpを見ると、単に「生き物の食べ物」という意味での説明がちゃんとなされている。

従って、「採餌」や「探餌」、「求愛給餌」、「潜水採餌ガモ」、チョウ等における「食餌植物」といった、昔から使われてきた多くの言葉に「餌」の字が含まれることにも私は違和感を全く持ってこなかったし、これを変えようという意見の方にむしろ違和感を覚える機会が多い。逆に言うと、こうした言葉が沢山あること自体が、「餌」が元々「人間が与えるもの」の意味では全くなかったことの証左ではないのだろうか。

言葉は時代とともに変化していくものであり、時にはそれを意識的に変えようという機運が生まれることがあるのもまた当然かもしれない。しかしその際には、くれぐれも根拠の不確かな思いつきや流行、言葉狩りのような形で拙速に事が進んでしまうことのないよう、その言葉の本来の意味や成り立ちについては注意深く考えていく必要があるように思う。

というわけで上の画像は潜水して貝類を「採餌中」のスズガモ。
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by Ujimichi | 2013-01-25 23:21 | 餌やり規制問題について

2013年 01月 24日
今日の発見
先ほど昨冬撮ったカモメの画像をちょっと見直していて、「あっ!」と一つの発見があった。画面左の昨冬撮ったカナダカモメと、右のこの冬撮ったカナダカモメが同一個体と見てまず間違いなさそう。羽色等の変化の進行には個体差もかなりあるので難しいが、昨冬が第4回、今冬が第5回(成鳥)冬羽くらいか。

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カナダカモメ Larus thayeri

いつも思うことだが、こうした個体識別には直感と論理的思考の両方が不可欠。膨大な記憶の中から、「あれ!?こいつはあの時のあれでは?」と気付くには理屈だけに凝り固まっていてはまず無理。しかし次にそれが同一個体として矛盾がないかどうか、改めてしっかり確認するには論理的・分析的に画像を比較検討することが重要になる。もちろんそれ以前にカナダカモメにどれくらいの個体差の幅があり、別個体なら通常どれくらい違って見えるか、また同一個体が諸条件でどれくらい違って見える場合があるか、といったことがある程度経験的にわかっていることも必要なので、この辺はなかなか奥が深いところ。
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by Ujimichi | 2013-01-24 20:12 | カナダカモメ

2013年 01月 19日
雑種は雑種
昨日の話の続き。

a0044783_1482185.jpg例えばアメリカヒドリ×ヒドリガモの雑種のことを、「アメリカヒドリ(交雑種)」とか、「このアメリカヒドリは交雑種のようです」といった書き方を以前からよく見かけるが、雑種は雑種であってアメリカヒドリそのものではないので、この書き方は不正確だし意味も今一つよくわからない。他によくある「アメリカヒドリの雑種」というのは善意に解釈すれば「アメリカヒドリの関わった雑種」の短縮形?みたいにも思えなくもないし、フィールドでの立ち話で便宜上出てくるくらいならいいと思うが、やはりこれも曖昧でわかりにくい表現だと思う。

これが例えばタイミルセグロカモメ (taimyrensis)やアイスランドカモメ亜種kumlieniのように、そのタクソン自体が種なのか亜種なのか、交雑個体群なのかが諸説あるものだとか、または雑種なのか個体差の範疇なのか微妙な例であれば、人により色々な書き方が出てきてしまうのもある程度仕方がない面はある。しかし少なくともよく見られるアメリカヒドリ×ヒドリガモや、今回の瓢湖のメジロガモとされた個体のように、雑種であることが明白なものについては、やはり両親の種の名前をきちんと併記して、「アメリカヒドリ×ヒドリガモ」「メジロガモ×ホシハジロ」などとするべきだろう。

ところで件の瓢湖の雑種、今日は新潟日報にまたしてもメジロガモとして掲載された。雑種という至極当たり前な指摘は発見当初から多々あるにもかかわらず、なぜかその点には一言も触れられていない。掲載の小さな画像だけ見ても雑種の特徴は明白に表れていて、私の感覚では本来議論の対象にすらならないはずのものなので、この扱いは何とも不可解。郷土の鳥に興味を持ってもらいたいというのはいいと思うのだが、それにしては貴重な雑種を紹介するせっかくのチャンスを無にしてしまっているのは随分ともったいない印象を受ける。


※画像はアメリカヒドリ×ヒドリガモ。
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by Ujimichi | 2013-01-19 15:06 | カモ

2013年 01月 18日
メジロガモ×ホシハジロ
画像は1990年代初頭に上野不忍池で見つけたメジロガモ×ホシハジロの雑種雄。当時メジロガモは国内では1969年千葉県新浜の一例しか記録のない大珍鳥。この赤い胸と三角頭が目に入った時、これは大変なものを見つけてしまったと一瞬だけ思ったのだが、少し落ちついて見ると体が虫食い斑に覆われて灰色だし、嘴の黒斑も広く、ほどなくホシハジロとの雑種だという結論に落ち着いた。虹彩は白目が充血したように周囲が赤く、これもちょうど中間の特徴。ちょっとがっかりはしたものの、大珍鳥メジロガモが“半分”だけ見られた―という雑種独特の変な面白さを味わえた思い出深い瞬間でもあった。

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メジロガモ×ホシハジロ ♂  Ferruginous Duck x Common Porchard hybrid

ところで瓢湖でこの冬観察されているメジロガモに似た雌の雑種が、今日付けの読売新聞にメジロガモとして掲載されたようで、なんでもこの個体を目撃した人には瓢湖管理事務所が「発見証」を発行しているとか。この個体は現在日本の図鑑だけで単純に消去法的に識別すると、メジロガモという結論になってしまうのもある程度は仕方ないかとも思うが、しかし海外の図鑑やウェブサイトなども含めて検討すればホシハジロの関係した雑種であることは容易にわかると思う。上の雄個体と同様に嘴の黒色部が横に長く広がっている(上から見るとU字型に見える)ことと、体上面と脇が虫食い斑に覆われ灰色に見えることの2点は明らかにホシハジロの特徴が出ている。なおアカハジロ×ホシハジロでも酷似する場合があるが、嘴が小ぶりに感じられることや、他サイトの画像も見ると雌にもかかわらず頭に赤味があることからやはりメジロガモ×ホシハジロと見るのが妥当と思う。

※海外で撮影されたよく似た雑種雌がこちらにも掲載されている。
http://www.pbase.com/ingotkfr/ferruginous_duck_x_common_pochard

※メジロガモ雌はこんな感じ
http://www.pbase.com/image/147638318
体に虫食い斑は見られず、脇は褐色、体上面は黒褐色で一様に見える。嘴先端の黒色は雄よりは横に広がる傾向があるが、それでも瓢湖の個体ほどは明瞭に長く伸びず、輪郭も不明瞭な傾向がある。
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by Ujimichi | 2013-01-18 20:52 | カモ

2013年 01月 11日
条例化だそうな
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今日遅ればせながら知ったのだが、なんと近々北海道で野生鳥獣の餌付けを禁止する条例案が提出されるらしい。さすがによく知らない地方のことでにまで一々首を突っ込んでいる暇はないので、この条例案自体の中身や妥当性をここで云々するつもりはないが、こうなるといずれ他でも右に倣えで追随しだし、問題のあるものもないものも一緒くたで何でもかんでも「餌付け=悪」という風潮がますます強まることは目に見えている気がする。それにしてもこの件を伝える報道の中には、「パンで窒息死した水鳥も発見されている」という一文があり、もしこれが本当なら確かに悲しいことだが、しかしそうなると北海道民はいずれ餅の製造販売も条例で禁止されて食べられなくなるのでは、とついつい余計な心配をしてしまった。(^^;

それはともかく、カモ等へのエサやりが隆盛を極めていた90年代頃の東京で見てきた印象でも、熱心にエサやりをしていた一部の人たちも確かに節操がなく、とにかく撒くエサの量が法外だったり、食パンを細かくもせず丸ごと投げ捨てるようなやり方だったり、人間社会との軋轢を生みやすいカラスやドバトにも見境なくやる人もいたりして、こんなことではいずれ時代的・社会的な反動が来るのでは―という一抹の不安はあったのだが、今や東京近辺の公園池等のほとんどどこへ行っても餌やり禁止の看板を目にし、ついには北海道で条例化の話(もちろんこちらはキツネやハクチョウなど様々に事情の違う対象を含んだ話だろうが)まで持ち上がるとは、いくらか予想されたこととはいえ、その波がここまで極端で徹底した形で押し寄せるところまではさすがに以前は想像していなかった。

何よりも、かつては何かとエサやりを不必要に美談として散々持ち上げ煽っておきながら、今世紀に入って掌を返したようにエサやり叩き一色に転向したマスコミのやり方は最悪だと思う。私の感覚では、後先考えずに度を越したエサやりをする人も阿呆だが、ただ時代の尻馬に乗って嬉々としてエサやり叩きに走る人も阿呆、その中間で私などが一々気に病んでもつまらぬストレスを溜めるだけなので、やはり結論としてはただ呆れ顔で眺めていることにしようと思っている。ただいずれにしても、この手の問題に注目する際に、「エサやりvs自然」という二者の関係性ばかりが強調され、人間社会全体と自然の関係性という広い視野がまるで忘れ去られる風潮が強いことには、明確に憂慮の念を示しておきたいと思う。
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by Ujimichi | 2013-01-11 16:43 | 餌やり規制問題について

2013年 01月 08日
まだやっているとは
2007年のあの世にも馬鹿げた餌やり叩きキャンペーン以来、不忍池には気分が悪いので実は一度も行っていない。しかし今日は都内の某庭園のカモを観察に行ったら、「太りすぎたカモ?ほとんど飛べません!」を筆頭に、無根拠・無責任な珍説を並べて東京都によってあの頃作られた、例の恥ずかしいトンデモチラシが未だに置いてあった。しかも入口の一番目立つところに。仕事熱心は結構だが、東京都は自らの鳥や自然に関する無知をそこまでして晒し後世に伝えたいのか。こんな恥ずかしいことをやっていては、最近随分と熱を入れているらしいオリンピック招致も同じ目で見られかねないのではないかと余計な心配をしてしまう。なにやら折しも葛西臨海公園にカヌー競技場を建設しようとしてだいぶ問題になっているそうだが、自然、自然と高らかに謳うこのチラシとの対比もなかなか興味深い。

a0044783_21374767.jpg<これが東京都が作成した悪名高き世紀のトンデモチラシ。写っているのは見ればわかるが何の変哲もない普通のオナガガモ。こんなものを太ってほとんど飛べないなどと断じる節操のなさには呆れるほかない。(経緯をご存じない方は同カテゴリーを遡ってご覧下さい。なおカテゴリー名は当時「”餌やり防止キャンペーン”」としていましたが、最近「エサやり規制問題について」に変更してあります。)



a0044783_21361126.jpgそれはさておき、「庭園」というもの自体が私の感覚ではまさに「人為の塊」のような空間なので、そこでも鳥にだけは何が何でも「自然」であることを求めるエサやり規制のアンバランスは何とも滑稽に見える。人の手で見事に刈り込まれた植栽や芝生、美しく並べられた石畳といったものと、陽だまりの中でのんびりとコイやカモにエサを投げて楽しむ人々、というのは、良し悪しはさておき私の中ではそれはそれで一対の等価でかつよく調和したアイテムと認識してきたものだが。

ところで年末に行った千葉県の公園では、「パンや菓子は野鳥の健康を害する」と書いてあったが、今日寄った都内の川辺には「エサをやると繁殖力が増し、生態系バランスに大きな影響が出る」と書いてあった。要するに一方では「健康を害するからダメ」だと言い、他方では「繁殖力が増すからダメ」だと言う。こんなところからも、やはり今流行の餌やり規制は冷静に眺めてみると実に論拠があやふやな印象を受ける。

そして何よりも私がいつも一番引っかかるのは、「現状」-「餌やり」=「自然本来の生態系」と言わんばかりの、あまりに単純で非現実的な論法だ。前も書いたが、少なくとも都市部では特に、餌やりが行われる以前から、自然本来の生態系など我々人間の手で滅茶苦茶に壊され寸断され掻き回され、ほとんど原形をとどめてはいない。例えば高度経済成長以降、東京湾岸の広大な干潟や湿地を一体どれだけ無残なまでに埋め立ててきたと思っているのか。しかし別の言い方をすれば、そうした巨大な自然破壊もまたエサやりも含めて、豊かであれ貧相であれ、さまざまに形を変え続けながら何らかの形で存在し続けるのが生態系―ともいえる。

これに対してどうも昨今よく見かけるの餌やり規制論の中に登場する「生態系」とは、多くの場合単に子供を怖がらすための架空の化け物のような、あるいはまるで指一本触れてはならない永久不変の神のような、何とも得体の知れない存在になってしまっている気がしてならない。そこにあるのは要するに観察や調査などから把握された実体を伴ったものではなく、もはや単なるイメージや記号でしかないのかもしれない。

―と、色々書いてはみたが、大多数の一般人の鳥や自然への関心の程度を考えれば、実際のところ現在の餌やり規制をあまりこんな風に真正面から真面目に考えてもどうなるものでもなく、それよりも90年代をピークに明らかに度を越していた餌やりブームの単なる揺り戻し現象として、遠目から冷やかに見ておくのが結局正解なのかな、とも正直なところ思っている。
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by Ujimichi | 2013-01-08 22:28 | 餌やり規制問題について

2013年 01月 06日
80~90年代にもしインターネットがあってこのブログがあったら、私は多量の食パンをドサドサと池に投げ捨てるかのような過剰な餌やりブームに疑問を呈する文を間違いなく書いていたと思う。しかしながら今や逆に世の中は一斉に右へ倣えの餌やり禁止ブーム。エサやりによって「自然の営みが歪む」とか「減ってしまう動物もいる」などと綺麗事を並べた立看板のあるまさにその池畔に、一方でパンジーなどというあからさまな園芸植物をせっせと植えて他の植物を“雑草”として徹底排除している―といった歪さ滑稽さにうんざりしているのが正直なところ。例えば草を茂るままにしておけばバッタやコオロギが住み、都市部からは消えつつあるモズやホオジロ類が餌場として利用できるのでは?といったようなことはやはり一般にはなかなか想像しにくいのだろうか。

散々自然を壊し、散々餌付けし、壊した自然は元に戻さず、それでいて 「ゴメン、やっぱり餌付けは止めるから自然に還れ」と突き放すのが果たして本当に正義なのかどうか。というよりも、自然とか環境とか生態系とかいった便利な言葉は、実は単にエサやりに関連する苦情や面倒事を避けたいだけの管理主体に適当に利用されているケースが実際かなり多いような印象を強く受けている。そしてもちろん、そもそも昨今のエサやり規制の最大の火付け役が、2007年頃の「カモが太って飛べなくなる」などという例の事実無根の一斉無責任報道だったという経緯は、今後各地で餌やりをどう位置付けるにしろ、一つの事実として忘れてはならないと思う。

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キンクロハジロ
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by Ujimichi | 2013-01-06 17:10 | 餌やり規制問題について