「ほっ」と。キャンペーン


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2014年 01月 25日
今年も餌付け規制問題を考える
a0044783_20222020.jpgこの時期になるとあまり考えたくない餌付け規制問題をどうしても考える機会が多いので、以前と重複する点もあるが今年も少しだけ思うところを書いてみる。

 一例として、「餌付けによって日本のカモやハクチョウの数が増えると、繁殖地のシベリアの生態系を変えてしまう」というような言い方がある。つまり例えば数が増えれば彼らが繁殖地で餌としている特定の動植物がより消費され、またそれを餌としていた他の動物も減るというように、日本での餌付けの影響が思わぬ遠いところにまで及ぶ―といったことだ。

こうした言い方は確かに一見なるほどと思わせるのだが、そこでふむふむと感心する前に、何か重大なことを忘れていることに気付かなければいけない。特に日本ではこの戦後70年弱の間に、それこそとんでもない面積の湿地や干潟(―つまり彼らの餌場)が開発によって恐るべき勢いで失われているのであって、この時点で俗にいうところの「自然本来の生態系のバランス」は既に大きく崩れている。しかもこれは越冬地での個体数の維持、ひいては繁殖地への帰還率にとってはマイナスの方向へ崩れているはずであり、それを忘れて餌付けによる個体数の増加だけに注目していては、物事の本質を大きく見誤ってしまうことになりかねない。 

ただしここでくれぐれも誤解のないように書いておくと、私はもちろん餌付けがそのまま開発で失われた自然の代用になるとか、だからじゃんじゃん餌付けをしましょうと言っているのではない。オナガガモのように餌付けで増える種とそうでない種がいることを見てもわかるように、昔の豊かな日本の自然が支えてきたものと、餌付けで一部補填できるものは内容が大きく違うことは明らかだろう。 

ただそれにしても、近年の餌付け規制論は、とかく「餌付けの問題点」や「生態系への影響」を並べることに専心するあまり、上記のような人間が自然に与えている餌付け以外のありとあらゆる甚大な影響を含む広い視野をすっかり忘れた、極めてバランスの悪いものになりがちであることには強く疑問を呈しておきたい。またその際には、普段さほど鳥に興味がない一般人や子供でも光学機器を通さずに身近に野鳥の姿に触れられる―といった、餌付けについて考えられるプラス面はまるで無視される傾向が強いのも気になるところ。 

もちろん確かに今後考慮または解決されていくべき問題点もあること自体に異論はないが、例えば広大な野山を根こそぎ潰して造られたニュータウンの、コンクリートプールのような人工池に立つ「生態系に悪影響を与えるので餌付けは止めましょう」といった立看板の抱える矛盾といったものについては、ぜひ多くの人が冷静に見極めた上で物事を考えていってほしいし、ましてやどこでも単に餌付け禁止で鳥を追い出せば失われた“自然本来の生態系”が帰ってくるかのような誤解がこれ以上一般に広まることは避けたい。明らかな実害や危険性が認められるものを規制するのはともかく、このまま日本の隅々にまで画一的な規制が進むことについては、社会に精神的なゆとりの部分を残すという意味でも少し慎重であるべきではないかと考える。



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by Ujimichi | 2014-01-25 21:58 | 餌やり規制問題について

2013年 01月 08日
まだやっているとは
2007年のあの世にも馬鹿げた餌やり叩きキャンペーン以来、不忍池には気分が悪いので実は一度も行っていない。しかし今日は都内の某庭園のカモを観察に行ったら、「太りすぎたカモ?ほとんど飛べません!」を筆頭に、無根拠・無責任な珍説を並べて東京都によってあの頃作られた、例の恥ずかしいトンデモチラシが未だに置いてあった。しかも入口の一番目立つところに。仕事熱心は結構だが、東京都は自らの鳥や自然に関する無知をそこまでして晒し後世に伝えたいのか。こんな恥ずかしいことをやっていては、最近随分と熱を入れているらしいオリンピック招致も同じ目で見られかねないのではないかと余計な心配をしてしまう。なにやら折しも葛西臨海公園にカヌー競技場を建設しようとしてだいぶ問題になっているそうだが、自然、自然と高らかに謳うこのチラシとの対比もなかなか興味深い。

a0044783_21374767.jpg<これが東京都が作成した悪名高き世紀のトンデモチラシ。写っているのは見ればわかるが何の変哲もない普通のオナガガモ。こんなものを太ってほとんど飛べないなどと断じる節操のなさには呆れるほかない。(経緯をご存じない方は同カテゴリーを遡ってご覧下さい。なおカテゴリー名は当時「”餌やり防止キャンペーン”」としていましたが、最近「エサやり規制問題について」に変更してあります。)



a0044783_21361126.jpgそれはさておき、「庭園」というもの自体が私の感覚ではまさに「人為の塊」のような空間なので、そこでも鳥にだけは何が何でも「自然」であることを求めるエサやり規制のアンバランスは何とも滑稽に見える。人の手で見事に刈り込まれた植栽や芝生、美しく並べられた石畳といったものと、陽だまりの中でのんびりとコイやカモにエサを投げて楽しむ人々、というのは、良し悪しはさておき私の中ではそれはそれで一対の等価でかつよく調和したアイテムと認識してきたものだが。

ところで年末に行った千葉県の公園では、「パンや菓子は野鳥の健康を害する」と書いてあったが、今日寄った都内の川辺には「エサをやると繁殖力が増し、生態系バランスに大きな影響が出る」と書いてあった。要するに一方では「健康を害するからダメ」だと言い、他方では「繁殖力が増すからダメ」だと言う。こんなところからも、やはり今流行の餌やり規制は冷静に眺めてみると実に論拠があやふやな印象を受ける。

そして何よりも私がいつも一番引っかかるのは、「現状」-「餌やり」=「自然本来の生態系」と言わんばかりの、あまりに単純で非現実的な論法だ。前も書いたが、少なくとも都市部では特に、餌やりが行われる以前から、自然本来の生態系など我々人間の手で滅茶苦茶に壊され寸断され掻き回され、ほとんど原形をとどめてはいない。例えば高度経済成長以降、東京湾岸の広大な干潟や湿地を一体どれだけ無残なまでに埋め立ててきたと思っているのか。しかし別の言い方をすれば、そうした巨大な自然破壊もまたエサやりも含めて、豊かであれ貧相であれ、さまざまに形を変え続けながら何らかの形で存在し続けるのが生態系―ともいえる。

これに対してどうも昨今よく見かけるの餌やり規制論の中に登場する「生態系」とは、多くの場合単に子供を怖がらすための架空の化け物のような、あるいはまるで指一本触れてはならない永久不変の神のような、何とも得体の知れない存在になってしまっている気がしてならない。そこにあるのは要するに観察や調査などから把握された実体を伴ったものではなく、もはや単なるイメージや記号でしかないのかもしれない。

―と、色々書いてはみたが、大多数の一般人の鳥や自然への関心の程度を考えれば、実際のところ現在の餌やり規制をあまりこんな風に真正面から真面目に考えてもどうなるものでもなく、それよりも90年代をピークに明らかに度を越していた餌やりブームの単なる揺り戻し現象として、遠目から冷やかに見ておくのが結局正解なのかな、とも正直なところ思っている。
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by Ujimichi | 2013-01-08 22:28 | 餌やり規制問題について

2008年 01月 19日
アクセス倍増
「メタボガモ騒動」が持ち上がって以来、このブログのアクセスは倍増している。ということは、私のことをよく知らない方もかなりご覧になっているのだと思う。となるとひょっとして、一部のエントリだけを読んで、私のことを「餌付けの禁止・抑制運動にただ文句を言っているだけの鳥屋」というような誤解をされると困るので、念のため少しその辺のことを書いておく。

a0044783_5452365.jpg確かに私は鳥屋であるけれど、実はかなりのトンボファンでもあるし、さほど詳しくないもののその他の昆虫や植物観察もする。一時期は里山歩きにかなりはまっていたし、風景や環境全体を見ることにも結構興味はある。したがって、多様な生物が複雑に関わりあって暮らす豊かな生態系、およびそうした場所の風景、雰囲気、空気感の持つ素晴らしさというのは自分なりによく知っているつもりだ。 [画像は1996年に描いた里山の水彩スケッチ]

それに比べると、確かに多くの都市公園の環境というのは極めて単調なものだ。まず護岸など水辺の構造そのものが単調な場合が多いし、植物も少なく、大抵水が濁っている。魚類その他の水中生物については全く詳しくないのだが、オオクチバス、ブルーギル、アカミミガメ、アメリカザリガニ、といった外来生物の蔓延が極めて深刻であることも(魚に関しては主に“知識として”だが)よく知っている。そしてコイやカモの餌付けも、水質を悪化させる片棒を担いでいることは普通に見ていても十分想像できるところだ。(やや話はそれるが、今まであちこち歩いていて乾田の単調さ、生物の少なさを知っているだけに、最近は冬季湛水水田とか不耕起農法といったキーワードにもちょっと興味は持っている。)

そういう意味では、餌付けをなくそうとしている人たちの、「単調な環境をもう少しなんとかしたい」といった志の部分※1については実は十分理解できるし、だからこそ餌付けを積極的に肯定はしないと言ってきた。ただいずれにしても、事実に反する情報や誇張された情報を(それが故意ではないとしても)一般に広く植えつけてしまったり、或いは人を不必要に不快にさせたり傷つけたりするような極端かつ拙速なやり方でもってそれを実現しようとすることはしないでほしい、ということでこれまでこのブログで色々発言してきた。ともかくそこのところはここをご覧になっている方々にはぜひとも理解していただきたいと思っている。

※1 ちなみに東京都環境局に関してはそれすらあるのかどうか疑問に感じているのだが・・・
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by ujimichi | 2008-01-19 05:23 | 餌やり規制問題について

2008年 01月 16日
不愉快な話
a0044783_2255281.jpgうちのサイトを見ていただいている見ず知らずの方からメールを頂いて知ったのだが、井の頭公園の“エサやり自粛キャンペーン”で監視活動を行っている人の中に、「魔法の杖」と称するもの(それが具体的にどういうものかイマイチわからないのだが)で、エサをやっている人の周りに集まった鳥を追い払うということをやる人がいるらしい。その「魔法の杖」の本人がそのことを書いているサイトを教えてもらったのだが、「監視をしていたら外国人の子供がエサをやりはじめたので、集まった鳥をその『魔法の杖』で全て追い払い、『鳥たちの健康と環境のため、エサをやらないでください』と(英語で)言ったら、その父親から『バカヤロウ バカヤロウ』と罵られた」云々ということを苦々しげに書いてあり、私には極めて不愉快な内容だった。

餌付けや環境について色々な人がよく考えたり、自身の意見を表明したりすることは決して悪いことではない。むしろよいことだと思う。また、もちろん杖で追い払ったからといって鳥が怪我をするとかいった物理的な実害があるわけではないとは思う。しかし、いずれにしろこんなやり方をしていたのでは、こうした活動がなかなか世間に理解されなくて当然、罵られて当然であると私は思う。まあ想像するに、「エサをやることの方がもっと悪い」という考えなのだろうとは思うが、私に言わせればそれはその人や仲間内(?)での“常識”であり、いきなり初対面の人間、しかも子供や外国人にまでそれをこのような形で押し付けるのは明らかに間違っている。想像力をさらに働かせれば、自分たちの考えがなかなか受け入れられないことに対する苛立ちもまあほんの少しは解らないでもない(?)気もするのだが、しかし、「餌付け」ということ一つとっても世の中には様々な考え方があり、そう易々と特定の人たちの考えが理解されないのはむしろ当たり前のことだと認識し、こういう愚かなことはぜひとも止めていただきたいと思う。最近、不忍池でもエサをやる人を怒鳴りつけたり、傘を振り回して鳥を追い払う人がいるという話を聞くが、私はこうしたことは餌付けの善し悪し以前に不愉快極まりない話だと感じる。


※当ブログは餌付けを積極的に肯定・推奨するものではありません。
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by ujimichi | 2008-01-16 22:35 | 餌やり規制問題について

2008年 01月 05日
“メタボガモ”のからくり
ちょっとカモ見に行ってきたので、そこで撮ったオナガガモの画像から。多くの鳥屋さんは百も承知のことだとは思うのだが、せっかく画像があるので一般向けに基礎的なところを改めて書いておこうと思う。
a0044783_23533717.jpg

「頸を伸ばして緊張状態にあれば痩せて見え、逆に首を縮めてリラックスしていると太って見える」というのは、鳥の外形を見る時のもっとも基本的な注意事項だ。観察してみるとわかるが、その変化は頭で考える以上に劇的なものだ。

a0044783_21334.jpgこの理由の一つは、全身を覆っている羽毛が緊張状態では皮膚と平行に、つまり「ピタッと寝ている」状態になり、リラックス時は逆立って膨らんだ状態になるということ。わかりやすく言うと、最大限に羽毛を逆立てた場合には、体各部の羽毛一本一本のほぼ長さ分だけシルエットが膨張して見えうる、ということだ。上の左の画像は「いくらか膨らんでいる」程度の状態だが、羽繕い後の身震いをした瞬間などはこれよりさらに顕著に全身が膨張して見える。


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▲頭部の羽毛の流れに注目すると、緊張時は羽毛が骨格にぴったりと張り付くように寝ており、休息時は浮き上がっていることがわかる。これにより頭部の大きさからして一回りも二回りも違って見える。

もう一つの理由は頸のS字構造によるもの。骨格標本などを見ればなおよくわかると思うが、鳥の頸の骨格というのはS字カーブを描いており、これにより自由自在に伸び縮みしたり顔の方向を変えたりといった複雑な動きをすることができる。特にカモの場合は頸が長いのでこのS字が深く顕著で、頸を縮めるとこれが大きな“胸部の膨らみ”となって現れる。これを見て「カモがエサやりで太って鳩胸になってしまった」などと言う人もいるそうなのだが、もちろん実際はカモのほうが頸が長い分だけ、休息時に見られる胸部の張り出しも元々大きいのだ。

昨年の“メタボガモ報道”ではこうした極めて簡単なトリックが利用され、普段鳥を見ない一般の人たちの多くははすっかり騙されてしまったのだ。もっともそうした言説を流した人たちも必ずしも故意ではなく、自身もこのトリックに翻弄されていたケースも多々あるのかなとは思うのだが。

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左が普通に休息しているところで、右は犬が傍を通りかかって警戒しているところ。私自身も経験から頭では解っているつもりなのだが、改めて多数の個体を様々な状況で観察してみると、状況による見え方の変化の激しさに驚かされる。ちなみにこれらはどちらもかなりエサやりが盛んに行われている同じ公園池で撮ったもので、左右は別個体なのだが、いずれにしろこの二つのどちらが実際に太っているとか痩せているとかいうことは見た目からは全く判断できない。
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by ujimichi | 2008-01-05 00:29 | 餌やり規制問題について

2007年 12月 27日
一区切りつけるが・・・
今回の「メタボガモ騒動」では、正直なところ役所やマスコミのあまりのレベルの低さには呆れ果てた。鳥に対して知識がないのは仕方ないとしても、それならそれで多方面に意見を聞いてからもう少し慎重に取り組んではどうかと思う。まして、都市伝説を役所が率先して全国に広めるなどは到底信じがたいような暴挙だ。あの馬鹿げた偏向報道が一斉に始まった頃、web上もその報道を鵜呑みにした一般のブロガーが溢れていて心底うんざりしたが、それでもその後きちんと疑問を呈する人もチラホラ現れたし、読売新聞の例の記事も出て、一時期の最悪の状態から比べると少しは落ち着きを取り戻している。

私自身もこの騒動のおかげで自分の用事がかなり滞っているし、それなりに言いたいことは言わせてもらったし、餌付けの復権が目的というわけでもないので、不満は多々あるもののこのブログでこの問題を取り上げるのはこの辺で一区切りつけたいと思っている。このブログを見て私と同じような疑問を感じ、それぞれの立場で何らかの行動を起こして頂いた皆様には大変感謝しています。本当にありがとうございました。m(__)m

しかしながら、当初の報道が撒き散らした害毒は無残なまでに一般人の頭に浸透していて決してなくなることはないだろうし、私も子供の頃から慣れ親しんだ不忍池は、一般に誤った知識を植え付ける醜悪な貼紙が嫌でも目に入る不愉快な場所になってしまった。東京都環境局や上野恩賜公園管理所も、依然外部からの正当な指摘を真摯に受け止める気配はないようだ。そして誤った認識のまま、この手の騒動が今後東京発で地方に波及していく恐れもまだまだ大きいと思う。というわけで、全国の鳥関係者、ジャーナリストなどで、こうした問題(これは無論“餌付け問題”以前の、役所やマスコミの自然および自身の仕事に対する見識の低さ等の問題だと思うのだが)について志のある方がいたら、今後こんな馬鹿なことがまかり通らぬよう、それぞれの立場で何かできそうなことがあればぜひとも取り組んでみてほしいと願っている。
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by ujimichi | 2007-12-27 01:15 | 餌やり規制問題について

2007年 12月 25日
禁止!?
“エサやり防止キャンペーン”問題に関してはテクノラティやYahoo!などでブログ検索をして随時状況を把握するようにしているのだが、今日出てきたブログでは不忍池に最近出たらしい貼紙(上野恩賜公園管理所・弁天堂の名前になっている)の画像があり、呆れたことにその貼紙のタイトルが「エサやり禁止」となっている。私がこれまで現地で見たのは「お願い」というタイトルのもので、禁止の文字はなかったのだが、ひょっとして、「防止と言いながら禁止ではないか」と私などが批判したものだから、「じゃあ禁止にすればいいんだろ」というわけでますますムキになっているのだろうか?中身を見ると、カモが餌付けによって「飛べなくなる」とまで言うのはさすがに批判が集中したせいか、それとなくうやむやにして引っ込めたようだが、その代わりに「行動が鈍くなり、猫などに襲われやすくなって、命を落として北へ帰れなくなる」というつまらぬ言い換えで切り抜けようとしているようだ。

そもそも、頸を縮めているだけのカモを相変わらず「太ったカモ」と説明するのは、鳥に対する無知をさらすだけだしみっともないので止めた方がよい。ユリカモメを「エサ取りが凶暴」などと馬鹿げた主観で決め付ける言い方もいい加減にしてもらいたい(「本来河口付近に生息するユリカモメ」との記述も誤り)。猛スピードで走り抜けた自転車によりカモがショック死したとされる事例は、そもそも自転車側の無謀運転をなぜ問題にしないのか不思議でならない(―わざとカモの群に突っ込む人がいるとも聞いているのだが?)。「カモを狙う猫」などという図は餌付けの有無に関係なく自然界でも元々ありうることだ(というかそもそもこれは「カモの餌付け問題」ではなく「野良猫問題」として捉えるべきだろう)。そして、もしそこまでして本気でカモの身を心配するのならば(してないだろうけど)、このキャンペーンのおかげでエサがもらえず郊外へ放浪し、猟場で射殺される心配も同時にしてみてはどうか。もはや引っ込みがつかなくなって意地になっているようにしか見えないのだが、こんなことをやればやるほど、公園の禁止事項なんて従うだけ馬鹿らしいと思う人が増えてしまうのではないかと思う。

ところで、先日の読売新聞の記事は、それまでの東京都環境局の言い分をただ垂れ流す報道とは明らかに異なり大いに評価できると思うのだが、しかし、「野生動物への餌付け禁止の意義を否定する専門家はいない」との一文は何をどう取材した結果なのかわからないが、書き方としては疑問がある。確かに、一般論として「野生動物の餌付けをどう思いますか?」という聞き方をすれば、「よいことではない」とほとんどの専門家は答えるだろうと思うのだが、何でもかんでも一律に禁止することに全ての専門家が賛成するものかどうかはまた別の話なのではと思う。(というかそもそもどの範囲を「専門家」というのか自体もよくわからないのだが・・・)

前も書いたが、世の中というのは時として、極端から極端へと、唖然とするような勢いで暴走する。「“ほどほど”ということがなぜできないのだろう?」というのは、むしろ以前は驚くほど大量のエサを撒く人に対して思っていたことなのだが、現在では訳のわからぬ理屈で強行に餌付けを禁止しようとする東京都環境局や上野恩賜公園管理所に対して強く思うようになった。私も撒かれるエサの量が従来より減ることは別に悪いことではないと思うが、いずれにしろ私にとってあの子供騙しの見本のような貼紙が不愉快極まりないものであることに変わりはない。

追記:いまだに例えば地方のハクチョウなどの餌付け論議などに際して、「餌付け禁止に賛成です。東京ではカモが渡れなくなってるらしいし―」などといった具合に、東京都環境局が全国に撒き散らした誤情報が引き合いに出されていることがあるようだ。こうしたことはそう簡単には元には戻らないし、今後もこうしてあちこちで議論を歪めてしまう恐れが大きい。こんなことは餌付けの善し悪し以前の問題であり、加担した人たちは責任を感じてもらいたい。
 
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by ujimichi | 2007-12-25 20:00 | 餌やり規制問題について

2007年 12月 24日
北海道の事例
a0044783_13445912.jpg北海道の濤沸湖白鳥公園でのカモの状況がこちらのブログに書かれている。
http://www.jinendo.net/2007/12/post_148.html

地元オホーツク及び全国各地での非常に豊富な野鳥観察経験をお持ちで、現在はオホーツクの自然ガイドとして活躍されている方による情報なので、大変参考になると思う。

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by ujimichi | 2007-12-24 13:34 | 餌やり規制問題について

2007年 12月 23日
提案2
読売新聞に「上野公園の“メタボ鴨”、北へ帰れる?…専門家の間で議論」という記事が掲載された。これまでの「エサやりによりカモが太って北へ帰れなくなる」という東京都環境局の主張に対し、専門家の多くが懐疑的であるといった内容で、ともかくやっと少しはまともな方向へ風向きが変わりつつあるのかな?と思えるものだった。

今後どう展開するのかはわからないが、とりあえずここでは、カモの餌付けについて私の今現在の個人的な意見を書いておきたい。私は不忍池のカモの餌付けに関してもし一般に対して何か呼びかけるとしても―

「カモは本来人間がエサを与えなくても生きていける野鳥です。自然環境保全のため、エサやりは控えめにお願いします。」

―という程度で良いのではないか?と思っている。つまり、「エサをやるとこんな大変なことが起こる!」といった根拠のない脅しではなく、「本来はエサをやらなくても生きていけるんですよ」というもっと冷静かつ前向きなメッセージを発信してはどうだろうか。 (ただし、現在自然界に十分なエサがあると言ってよいものかどうかについても私には詳しくはわからないのだが・・・。)

東京都内には、葛西臨海公園鳥類園、東京港野鳥公園など、カモへのエサやりが禁止?というよりそもそも物理的に不可能で、自然本来の生態系を復元・保全していくことを最優先にしている場所があり、そういうところはもちろんそのまま維持していけばよいと思うのだが、その一方で不忍池のように、光学機器を使わずとも誰でも手軽に鳥の姿と接することのできる場所というのも少しはあってよいのではないかと思う。つまり、どこもかしこもエサやりだらけになることももちろん良くないと思うのだが、逆にどこへ行ってもエサやりが犯罪の如く糾弾されるようになるのも、私は決してよいことのようには思えない。何か深刻な問題があるという本当に確かな情報があればもちろん話は別なのだが、そうでない限り、都市公園でのカモへのエサやりというのは、あたかも「やらねばならない慈善活動」であるかのように過剰に行われるものではなく、あくまで「ささやかなレクリエーション」という程度の意識・規模のものであれば、私は殊更目くじらを立てて禁止する必要はないのではないかと思っている。

以上はあくまで今現在の私の個人的意見だが、いずれにしろ今回の“エサやり防止キャンペーン”に関して一番いかんと思うのは、「餌付けをどう考えるか?」という議論の多い問題について、幅広い様々な立場の人の意見が事前に集約されることなく、役所が考えた奇想天外な理由の数々を盾に、“防止”の名を冠した事実上の「禁止キャンペーン」がいきなり展開されてしまったことだ。東京都環境局はこうした拙速なやり方を反省し、とにもかくにもまずは多くの人の声を真摯に聞いた上で、今後の対応を慎重に考え直していただきたいと思う。
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by ujimichi | 2007-12-23 00:08 | 餌やり規制問題について

2007年 12月 17日
世にも奇妙な日曜日
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キンクロハジロ 2007.12.16 上野不忍池

東京のカモはこの数十年で激減している。人が撒く餌の量自体が激減していて、確かにそれに比例しているようにも見えるのだが、その一方で餌付けと関係がない多摩川のカモも減っていたりと、よくわからないことが多い。不忍池に関してはピーク時は8000羽超だったようなので、先日16日のカウント結果からすると8分の1以下に激減したということになる。これはあくまでそういう事実がある、ということであり、だから餌付けをどうすべきなのか、というのは私にはわからないが、もちろんあれほどまでに徹底して餌付けを目の敵にして無くそうとする理由もよくわからない。

先日16日の不忍池は悪い夢でも見ているような不気味な場所と化していた。鳥の減った池面は冬とは思えないほどガランとしており、腕章をつけた係員がやたらと巡回している。東京都環境局の唱える珍妙な理由の数々も園内放送で何度も垂れ流されている。そして少しでも餌を撒いている人がいるとすかさずチラシを持って係員が飛んでいくし、ボートから餌を撒いた人は早速放送で注意されていた。さらに、観察会の方々が池畔に並んで鳥を見ながらただおしゃべりをしていただけで、2名の環境局の係員がおもむろにその列の両脇を固め、今に餌をやるのではないかとばかりに両側から鵜の目鷹の目で監視していたのだが、それにしても不忍池というのは一体いつからこんなに嫌な雰囲気の場所になったのだろうか?そんなイメージを少しでも和らげようというつもりなのか、すれ違う人に笑顔で会釈する係員もいたが、なんだか意図が見え透いているので余計に嫌になった。「防止」と謳いながらやっていることは実質上明らかに「禁止」であり、そのあたりのあざとさも薄気味悪さを倍増させていた。午後にはNHKの取材クルーが来て関係者はいそいそと説明や打ち合わせに追われていたが、これほど鳥もエサをやる人も減って静まり返っている中、この人たちは一体何をやっているのだろう?という疑問が頭から離れなかった。

私は過剰な餌付けをある程度抑制することで何らかのプラス面があるだろうことは理解しているし、昔のような盛大な餌付けの復権を願っているわけでももちろんない。しかしいずれにしろ今回のキャンペーンは都市伝説のような荒唐無稽な話を役所がマスコミを使って全国に垂れ流すという到底信じられないような馬鹿げたやり方ですすめられており、また、子供がほんの少しパンくずを撒く程度まで許さない異様なまでの徹底ぶりも私には理解しがたい。もちろん餌付けに関する考え方は人それぞれでよいとしても、せめてその拠り所となる基礎的な情報・知識の部分では、一般には本当のことをできるだけ知ってもらいたいと願っている。
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by ujimichi | 2007-12-17 04:22 | 餌やり規制問題について