「ほっ」と。キャンペーン


タグ:カモ ( 29 ) タグの人気記事

2014年 01月 25日
今年も餌付け規制問題を考える
a0044783_20222020.jpgこの時期になるとあまり考えたくない餌付け規制問題をどうしても考える機会が多いので、以前と重複する点もあるが今年も少しだけ思うところを書いてみる。

 一例として、「餌付けによって日本のカモやハクチョウの数が増えると、繁殖地のシベリアの生態系を変えてしまう」というような言い方がある。つまり例えば数が増えれば彼らが繁殖地で餌としている特定の動植物がより消費され、またそれを餌としていた他の動物も減るというように、日本での餌付けの影響が思わぬ遠いところにまで及ぶ―といったことだ。

こうした言い方は確かに一見なるほどと思わせるのだが、そこでふむふむと感心する前に、何か重大なことを忘れていることに気付かなければいけない。特に日本ではこの戦後70年弱の間に、それこそとんでもない面積の湿地や干潟(―つまり彼らの餌場)が開発によって恐るべき勢いで失われているのであって、この時点で俗にいうところの「自然本来の生態系のバランス」は既に大きく崩れている。しかもこれは越冬地での個体数の維持、ひいては繁殖地への帰還率にとってはマイナスの方向へ崩れているはずであり、それを忘れて餌付けによる個体数の増加だけに注目していては、物事の本質を大きく見誤ってしまうことになりかねない。 

ただしここでくれぐれも誤解のないように書いておくと、私はもちろん餌付けがそのまま開発で失われた自然の代用になるとか、だからじゃんじゃん餌付けをしましょうと言っているのではない。オナガガモのように餌付けで増える種とそうでない種がいることを見てもわかるように、昔の豊かな日本の自然が支えてきたものと、餌付けで一部補填できるものは内容が大きく違うことは明らかだろう。 

ただそれにしても、近年の餌付け規制論は、とかく「餌付けの問題点」や「生態系への影響」を並べることに専心するあまり、上記のような人間が自然に与えている餌付け以外のありとあらゆる甚大な影響を含む広い視野をすっかり忘れた、極めてバランスの悪いものになりがちであることには強く疑問を呈しておきたい。またその際には、普段さほど鳥に興味がない一般人や子供でも光学機器を通さずに身近に野鳥の姿に触れられる―といった、餌付けについて考えられるプラス面はまるで無視される傾向が強いのも気になるところ。 

もちろん確かに今後考慮または解決されていくべき問題点もあること自体に異論はないが、例えば広大な野山を根こそぎ潰して造られたニュータウンの、コンクリートプールのような人工池に立つ「生態系に悪影響を与えるので餌付けは止めましょう」といった立看板の抱える矛盾といったものについては、ぜひ多くの人が冷静に見極めた上で物事を考えていってほしいし、ましてやどこでも単に餌付け禁止で鳥を追い出せば失われた“自然本来の生態系”が帰ってくるかのような誤解がこれ以上一般に広まることは避けたい。明らかな実害や危険性が認められるものを規制するのはともかく、このまま日本の隅々にまで画一的な規制が進むことについては、社会に精神的なゆとりの部分を残すという意味でも少し慎重であるべきではないかと考える。



[PR]
by Ujimichi | 2014-01-25 21:58 | 餌やり規制問題について

2013年 02月 09日
エサやり規制の裏側
a0044783_17332352.jpg先日フィールドでちょっとお会いしたある方のお話によると、2007年ごろから大々的に始まった不忍池のエサやり規制の裏にあるのは、やはり鳥インフルエンザ対策なのだとか。まあ以前からそうではないかという声はちらほら聞いたことがあるし、私もどこかで薄々もしやとは思っていたところではあるのだが、しかしこの話が事実だとすると、鳥インフルエンザ対策という、ある意味「良くも悪くも一番効き目のありそうな」規制理由をわざわざひた隠しにして、「カモが太って飛べなくなる」などという見え透いた嘘を撒き散らすことに一体何のメリットがあったのやらさっぱりわからない。

しかし、わからないなりにあれこれ考えた末に辿り着いた仮説を以下に書いてみると、要するに鳥インフルエンザなどと言って鳥を“悪者”にしてしまうと、熱心にエサをやっている“鳥可愛がり”な人たちから反発を食らうのではないかとか、あるいは一般に不安を与えるのではないか―的なおかしな配慮が働いてしまい、だからこそ逆に、鳥を悪者ではなく「エサやりの可哀想な被害者」に徹底的に仕立て上げることで、そうしたエサやり人たちを上手く丸め込めると考えたのではないか?という気がするがどうだろうか。他には、鳥インフルエンザについて難しいことを言ってもどうせ伝わらないだろう的に大衆を見下すような心理や、または規制側自身がそうした煩雑な説明をする手間が省けると考えた面もあったのでは、という想像もできる気がする。

しかし無論のこと、本来鳥インフルエンザのリスクを懸念するのであれば、そのリスクを過大評価も過小評価もせず、できる限り正確な情報・知識を伝えることにまずなによりも腐心すべきだ。それが簡単なことではないのは解るが、だからといってあることないことを含め、考え付く限りの別の理由を並べ立て、マスコミ総動員で世論操作をしてエサやりを禁止しようとするなどは愚の骨頂。オオカミ少年ではないが、こうした不誠実ないわば“反則技”が結果として行政不信を招くことで、将来もし本当に差し迫った深刻な事態が起きた際に、逆に今度はまともなアナウンスをしてもまともに受け取ってもらえない―なんてことになりはしないのだろうか。また何度も書いてきたように、昨今のエサやり規制が「自然」や「生態系」といった言葉を都合よく乱用することで、一般に誤った自然観を植え付けているのも大いに疑問を感じるところ。いずれにしろこれまでのエサやり規制がいかに安易で間違った方法で行われてきたかについて、マスコミを含め関係機関は今一度真摯に振り返り反省して頂きたいと思う。

なお鳥インフルエンザ自体については私は全くの素人であり、危険性・安全性、どちらについてもここであり合わせの知識で軽率なことを言うつもりはない。同様に、関心のある方はぜひ幅広く情報収集をし、なるべく正確な知識を得た上で自分の考えを持ってもらいたいと思う。そして行政がこうした問題について何らかのリスク回避に努めるのは当然と思うし、そのために本当に必要性がある範囲で、しかもそれをあくまでも誠実に説明した上で、エサやりについてもある程度何らかの制限を設けることには無論反対ではない。しかしとはいえ同時に、実際以上に危険性を誇張して不安を煽ったり、無闇かつ不当に野鳥を排斥するような風潮にも決してならないことを切に願っている。
[PR]
by Ujimichi | 2013-02-09 17:40 | 餌やり規制問題について

2013年 01月 08日
まだやっているとは
2007年のあの世にも馬鹿げた餌やり叩きキャンペーン以来、不忍池には気分が悪いので実は一度も行っていない。しかし今日は都内の某庭園のカモを観察に行ったら、「太りすぎたカモ?ほとんど飛べません!」を筆頭に、無根拠・無責任な珍説を並べて東京都によってあの頃作られた、例の恥ずかしいトンデモチラシが未だに置いてあった。しかも入口の一番目立つところに。仕事熱心は結構だが、東京都は自らの鳥や自然に関する無知をそこまでして晒し後世に伝えたいのか。こんな恥ずかしいことをやっていては、最近随分と熱を入れているらしいオリンピック招致も同じ目で見られかねないのではないかと余計な心配をしてしまう。なにやら折しも葛西臨海公園にカヌー競技場を建設しようとしてだいぶ問題になっているそうだが、自然、自然と高らかに謳うこのチラシとの対比もなかなか興味深い。

a0044783_21374767.jpg<これが東京都が作成した悪名高き世紀のトンデモチラシ。写っているのは見ればわかるが何の変哲もない普通のオナガガモ。こんなものを太ってほとんど飛べないなどと断じる節操のなさには呆れるほかない。(経緯をご存じない方は同カテゴリーを遡ってご覧下さい。なおカテゴリー名は当時「”餌やり防止キャンペーン”」としていましたが、最近「エサやり規制問題について」に変更してあります。)



a0044783_21361126.jpgそれはさておき、「庭園」というもの自体が私の感覚ではまさに「人為の塊」のような空間なので、そこでも鳥にだけは何が何でも「自然」であることを求めるエサやり規制のアンバランスは何とも滑稽に見える。人の手で見事に刈り込まれた植栽や芝生、美しく並べられた石畳といったものと、陽だまりの中でのんびりとコイやカモにエサを投げて楽しむ人々、というのは、良し悪しはさておき私の中ではそれはそれで一対の等価でかつよく調和したアイテムと認識してきたものだが。

ところで年末に行った千葉県の公園では、「パンや菓子は野鳥の健康を害する」と書いてあったが、今日寄った都内の川辺には「エサをやると繁殖力が増し、生態系バランスに大きな影響が出る」と書いてあった。要するに一方では「健康を害するからダメ」だと言い、他方では「繁殖力が増すからダメ」だと言う。こんなところからも、やはり今流行の餌やり規制は冷静に眺めてみると実に論拠があやふやな印象を受ける。

そして何よりも私がいつも一番引っかかるのは、「現状」-「餌やり」=「自然本来の生態系」と言わんばかりの、あまりに単純で非現実的な論法だ。前も書いたが、少なくとも都市部では特に、餌やりが行われる以前から、自然本来の生態系など我々人間の手で滅茶苦茶に壊され寸断され掻き回され、ほとんど原形をとどめてはいない。例えば高度経済成長以降、東京湾岸の広大な干潟や湿地を一体どれだけ無残なまでに埋め立ててきたと思っているのか。しかし別の言い方をすれば、そうした巨大な自然破壊もまたエサやりも含めて、豊かであれ貧相であれ、さまざまに形を変え続けながら何らかの形で存在し続けるのが生態系―ともいえる。

これに対してどうも昨今よく見かけるの餌やり規制論の中に登場する「生態系」とは、多くの場合単に子供を怖がらすための架空の化け物のような、あるいはまるで指一本触れてはならない永久不変の神のような、何とも得体の知れない存在になってしまっている気がしてならない。そこにあるのは要するに観察や調査などから把握された実体を伴ったものではなく、もはや単なるイメージや記号でしかないのかもしれない。

―と、色々書いてはみたが、大多数の一般人の鳥や自然への関心の程度を考えれば、実際のところ現在の餌やり規制をあまりこんな風に真正面から真面目に考えてもどうなるものでもなく、それよりも90年代をピークに明らかに度を越していた餌やりブームの単なる揺り戻し現象として、遠目から冷やかに見ておくのが結局正解なのかな、とも正直なところ思っている。
[PR]
by Ujimichi | 2013-01-08 22:28 | 餌やり規制問題について

2010年 08月 22日
キンクロハジロ
今年県内で繁殖しているキンクロハジロを見てきた。「渡らない理由」を自分の目で確かめるのも大きな目的だったのだが、公園池に♂成鳥と♀成鳥、雛が各1羽つづいて、やはり予想通り成鳥は2羽とも翼を傷めていた。

a0044783_13363977.jpg
キンクロハジロ♀と雛
雌親の次列風切の欠損に注意。

a0044783_133734.jpg
キンクロハジロ♀
風切は旧羽のままのようで、羽ばたくとこのように右翼の内側初列風切と次列風切の一部がかなり広範囲に欠損している。

a0044783_13365652.jpg
キンクロハジロ♂
エクリプスへの換羽がかなり進んでいて、風切は伸長中でまだ短い。すでに新羽に変わっているため羽の欠損はないように見えるが、右翼に障害があって上手く動かせないようで、羽ばたくといつも右翼が下がって水面に着いてしまうことが多い。もちろんこれでは渡りは不可能だろう。

ところでこのキンクロハジロの雛の単独行動が目立つことに関して、餌を撒く人がいるからではないかという話があるようで、中にはその餌を採ろうと岸辺にやってくるからだ、と随分と断定調で書いているブログもあるようだが、実際には誰も餌をやっていなくても親子が互いに数十メートルも離れて別行動をしていることや、逆に親子揃って餌をもらいに来ていることもあり、単にこの雌親の雛への執着心が希薄なだけのようにも見える。近年は何を見てもすぐに餌付け問題に結びつける風潮があるが、この辺りについては少なくとももう少し慎重に物事を見る必要はあるように思う。

a0044783_13371765.jpg
キンクロハジロの雛(左)とカルガモの雛(右)
餌が撒かれていない状態での単独行動。

参考までに、昨年自宅近くの川で観察したカルガモ親子の例では、ある日突然6羽の雛のうち1羽(一番小さかった雛)だけが自ら家族から離れて逆方向(上流)へどんどん泳いで行ってしまい、後日何度確認しても結局そのまま行方不明で終わってしまったということがあった。おそらくあのまま完全にはぐれてしまったものと思われ、単独で生き延びた可能性は限りなく低いように思う。このカルガモ親子は特に餌付けに頼っているような様子はなく、もちろん人が撒いた餌につられてはぐれたという状況では全くない。人は既存の知識の範囲外の現象に出くわすとどうしてもそれを“異常”と捉え何かしら理由付けをしたくなるものだが、実際には生き物を観察しているとこのようにすぐには説明のつかない状況に出くわすことも珍しくないということも、それなりに念頭に置いておく必要はあるだろうと思う。
[PR]
by ujimichi | 2010-08-22 14:49 | カモ

2009年 12月 24日
野性の顔
近所のオナガガモ。常に周囲の人の動きをよく見ていて、岸に人が近づくと一応寄っていく。どうやら餌をくれないとわかると興味を失ったようにおもむろに羽繕いなどをはじめ、やがて自分たちでせっせと餌を探し始めた。ある断片だけ切り取れば一見餌付けに頼りきっているかのようにも見える彼らだが、「太って飛べなくなる」「渡らなくなる」などといった創られた虚像に比べ、その実像ははるかにドライで野性的だ。

a0044783_2282491.jpg




[PR]
by ujimichi | 2009-12-24 22:48 | 餌やり規制問題について

2009年 11月 05日
生態系・・・?
東京近郊のカモは80~90年代に比べて激減していて、特定の場所に行けば沢山見られうというわけにもいかなくなっているので、最近はなるべくあちこちのポイントを小まめに見て回っている。

a0044783_21451950.jpg

画像はそんな中で訪れた公園池で見た風景。「生態系を乱す原因になる」云々で餌やりはやめましょうという立看板が立っていた。もちろん餌やりをどう位置づけるかはそれぞれの場所の特性や諸事情に照らした判断があっていいとは思うのだが、しかしここで殊更「生態系」という言葉を持ち出すのであれば、餌やりどうこう以前にこのコンクリートプールのような恐ろしく人工的な池の造りを何とかしたらどうなのだろうと思う。この場所もそうだが、都市近郊では宅地開発や外来種の蔓延等々によって元あった生態系などとっくにズタズタに崩壊している場所が大半といっていい。各地で普通に行われている、草地や藪を整地して“綺麗な”芝生の公園にすることだって言ってみれば餌やり以上に甚大な生態系の破壊だ。また自然豊かに見える農村部だって、わかりやすい公共工事等以外でも、農業や林業など何らかの形で人が自然に手を加えることは常に行われている。にもかかわらず、なぜか殊餌やり云々という話になると「生態系を乱す」とか「人が自然を変えてはいけない」という類の言い方が都合よく持ち出されるのは随分不可解だ。

もちろん手付かずの自然が残っているような場所で「生態系を乱す原因になるので―」と言うならまだ解るし、以前はよく目にした、まるで何かの使命のようにやたらと大量のエサを撒き散らすようなやり方も決して正しいとは思わないが、最近はむしろただ単に餌やりさえ止めさせれば生態系が保たれるかのような、あまりに単純すぎるイメージが一般に広まってしまっている印象を受ける。

a0044783_21591665.jpg
▲上の画像と同じ池の周りの風景。寝そべったり遊んだりしやすい、歩きやすい、不快な虫などがいない、などの人間側の都合で全国各地の公園等の膨大な面積が単調な芝生やコンクリートで埋められている。

そういえば餌やり関連で最近ちょっと面白い記事を見つけた。良いか悪いかという言い方を急ぐのではなく、観察の大切さを説いているところが非常に共感できた。(記事は本文下の番号をクリックして続きを読めるようになっている。)
[PR]
by ujimichi | 2009-11-05 23:29 | 餌やり規制問題について

2009年 02月 12日
それ本当に雑種ですか?
a0044783_252112.jpg

上の画像は1993年2月27日、上野不忍池で撮影したホシハジロXキンクロハジロの雑種。両方の形質が現れており非常に面白い。当時エサやりが極めて盛んだった不忍池を覆いつくしていたカモの中で、圧倒的多数を占めていたのはキンクロハジロ、ホシハジロ、オナガガモの3種。ところがこの3種の間の組み合わせの雑種というと、実は私はこの1個体しか見た記憶がない。当時コスズガモなどの珍しい種を探すため、ここを訪れるたびに数百~数千羽の群をスコープと双眼鏡でしらみつぶしに観察していたにも関わらずだ。カモ類自体が激減した今となっては非常に貴重な写真になった。そんなわけで一部でしばしばまことしやかに語られる、「近年餌付けが原因でカモの交雑が増えて大変なことになっている」などとする言説は、私の目にはどうも一部の人が頭の中で組み立てた絵空事に思えてならない。

カモの雑種というと、なんと言ってもダントツに観察例が多いのがマガモ(アヒル)Xカルガモ、及びヒドリガモXアメリカヒドリ、この2組だろう。しかしこの2組はともに形態からも想像できるようにもともと極めて近縁であり、繁殖分布が隣接・重複しているため交雑しやすい。しかもマガモ(アヒル)Xカルガモについては野生のマガモというよりむしろ捨てられたり放し飼いにされたアヒルやアイガモとカルガモの交雑が疑われる例が多いので、まずは餌付け云々以前に「家禽の管理問題」に目を向けるべきだ。ヒドリガモXアメリカヒドリについては、多摩川や三番瀬など餌付けと関係のないところで多数の交雑個体を観察した経験があり、不忍池などでの雑種の頻度が高いとは全く言えない。そもそもこの2種は普通に混群で生活する組み合わせであり、かつ都内でアメリカヒドリが餌付いた例自体が極めて稀なため、餌付けと交雑を関連付けること自体あまり意味がないだろう。

a0044783_311529.jpg上記二組よりずっと少ないが、90年代当時比較的見る機会があったのはスズガモXキンクロハジロだが(といっても1日僅か0~数羽程度)、これももともと餌付けに関係なく混群になる組み合わせだし、スズガモ自体が汽水~海水域を好み餌付く例がごく限られているため、餌付けと交雑を結び付けるには無理があるだろう。これ以外の組み合わせの雑種となると色々見たことはあるが全く問題にならないほど稀で、ましてどちらか片親がトモエガモやメジロガモのような例は、そもそもその種自体がそこでは稀もしくは見られないわけで、いずれも餌付けとの関連性があるとは思えない(画像はメジロガモXホシハジロ)。加えてこの数十年で都内のカモ自体が激減し、当然雑種を見つけることもますます難しくなっているため、「餌付けで雑種が増えて大変なことになっている」などというのはあまりにも現実とは遠くかけ離れている。

こういった混乱の背景には、どうやら基礎的な観察技能の問題があるようだ。そもそも鳥は年齢、換羽、個体差、観察状況などによって印象が大きく変わることは日常茶飯事なのだが、わからない個体に出くわすとすぐに「雑種だ」という結論に飛びつく風潮が未だに強く、ネット上その他でも雑種ではないものが雑種にされてしまっている例が目を覆いたくなるほど多い。鉄分の多い水に染まって腹がオレンジ色になったオナガガモなどもよく見られるが、これも「変なカモ=雑種」というイメージから簡単に雑種にされてしまうことがある。交雑=餌付け原因説は、一部の人が頭の中で組み立てたようなストーリーがどんどん増幅してしまっている感があるが、そういうことを語るよりもまずは事実を見極める基礎的な観察力を見直すことから始める必要があるだろうと思う。

a0044783_2211238.jpgまたそもそも、「本来は種類ごとにかたまって越冬しているのに、餌付けによって混群化しその結果交雑が増える」とする理屈自体が極めて不可解だ。元々カモ類は何種もが混群で越冬する習性があり、むしろ餌付けがなされるとほとんどオナガガモばかりの群になったり、そうでなくとも先の不忍池のように数種が圧倒的多数を占めたりする傾向すら私はあるように思うのだが、したがって、「本来は種類ごとにかたまって冬を越しているはず」などと聞いた時点で、どうやらその人が普段カモを観察していないのではないかと思わざるを得ない。画像は参考までに餌付けが行われていない多摩川のカモの混群。コガモ・オナガガモ・ヒドリガモ・アメリカヒドリ・オカヨシガモの五種が写っている。

もう一点付け加えると、そもそも「種」というもの自体が多くの人が頭で考えるほど固定的なものではなく、縁の近いものはある地域や時期に交雑が進んだり、何かのきっかけで分化が進んだりというのは元々ある自然なことだ。むしろ、ある程度以上分化が進んだものを我々人間が見て「種」と認識し、それほどではないものを「亜種」と認識している場合が多いと言った方がいいかもしれない。もちろん冒頭に挙げたアヒルのように人為移入による交雑が野放図に進むことついては問題があるのかもしれないと思うが、それにしても交雑を初めからあたかも当たり前のように何でも「悪いこと」「異常なこと」だとする言い方の根拠はところでどこにあるのだろう?というのも改めて多くの人に考えてみてほしいところだ。

なおこちらにも関連記事があるのでぜひご覧頂きたい。
[PR]
by ujimichi | 2009-02-12 02:42 | 餌やり規制問題について

2008年 04月 28日
カモがアサリを食べつくす!?
a0044783_12594869.jpg先日ある方からメールを頂いて初めて知ったのだが、福島県相馬市松川浦で、「潮干狩り用のアサリをカモが食べ尽くした」という報道があったようだ。その方はテレビのニュース番組でこの件が報道されているのを見たそうで、その中で「あっ、カモがいました!」と映し出されたのはヒドリガモだったとのこと。また、福島中央テレビのサイトを見ると、「相馬市と漁協が、松川浦に飛来するマガモやヒドリガモを捕獲し、調査したところ、ほとんどのカモの体の中から、アサリの貝殻が、採取されました。」とも書かれている。その他「松川浦 カモ アサリ」などのキーワードで検索するとこの件に関する報道やブログ等がある程度出てきた。

もちろんこの件については私は現場の状況をよく知らないわけだし、カモの食性についても「全て」を把握しているわけではない。ただ、私の中ではヒドリガモというと川岸の土手に上がって青草を食んでいるとか、干潟ではアオサのようなものをついばんでいる状況、もしくは公園池で人にパンをもらっている状況など、つまり植物を食べている状況ばかりが記憶にあり、これまでアサリを食べるという認識はなかった。ましてヒドリガモやマガモが大量のアサリを「食べ尽くす」などということが本当にありえるのか?というとやはりちょっと首を傾げざるを得ない。メールを下さった方も同様の疑問を呈しておられた。

また、鳥には砂のうという器官があり、ここに食物と一緒に小石などを飲み込んで消化するという習性がある。もちろん私はこうした鳥の体の内部のことについては全く詳しくないのだが、「アサリの貝殻が体内から見つかった」というのも、本当にそれで「アサリを食べ尽くした」という根拠になるようなものだったのだろうか?という疑問は沸いてくる。一方、スズガモなどは確かに潜水して貝類を食べるが、昔から国内に沢山渡来しているスズガモが、今年に限って突如アサリを食べつくすような特異な渡来状況が果たしてあったのかどうか?については慎重に検証されるべきだと思う。

もちろんアサリを生活の糧とされている方々にとっては一刻も早く何かしらの対策が望まれるところだとは思うが、しかしもしも仮にカモが「濡れ衣」で駆除されるようなことがあると、単にカモ自身が気の毒だというだけでなく、何よりも肝心のアサリの回復にとっても一向に効果が上がらないということにもなりかねないわけで、ここはやはり他の生物や、環境のちょっとした変化などのあらゆる可能性を視野に入れた上で、冷静にアサリ減少の原因を考えることが必要だと思う。私もこの件を通して初めて知ったのだが、アサリについてはサキグロタマツメタという外来種の貝による食害が深刻だそうで、この辺との関連がどうなのだろう?というのかもかなり気になるところだ。ある生物の増減の原因というのは、実際は複雑で簡単には決め付けられないことも多いと思うし、マスコミもカモの種類も食性も考慮せずに「カモがアサリを食べ尽くした」と拙速に決め付けたような報道するのではなく、極力立場の異なる複数の機関に取材をするなどして慎重な対応をしてほしい。ともかくこの件については幸い地元の日本野鳥の会相双支部が取り組んでいるようなので、そちらの動きに期待したいと思う。

※上の画像はアオサを食べるアメリカヒドリ 2007年12月9日 千葉県船橋市で撮影
[PR]
by ujimichi | 2008-04-28 11:24 | カモ

2008年 03月 23日
2008.3.22 多摩川河口のカモ類
22日にせっかくカモも見てきたので、内容は繰り返しになるが一般への周知の意味も込めて再び“メタボガモ騒動”関連の話題。

2008.3.22 カモへの餌付けが行われていない神奈川県川崎市多摩川河口で観察したカモ類は以下の通り。

カルガモ13、オナガガモ5、ヒドリガモ42、ホシハジロ6、キンクロハジロ25、スズガモ136

留鳥のカルガモを除く冬鳥のカモ類は合計214羽。川面が広く鳥にある程度動きもあって、ダブって数えてしまう可能性もあるのでこれでもかなり控えめにカウントしている。実際はこの数字より間違いなく多い。我々バードウォッチャーには当たり前のことだが、このようにそろそろ桜も咲き始める3月下旬にこれだけ沢山のカモ類がいるというのは、餌付けが行われている・いないに関わらず元々全く普通のことである。もちろん4月に入ってもしばらくは普通に見られる。というわけで何度も書いたが、「春なのに公園にカモがいた」→「きっと餌付けのせいで渡るのを忘れてしまったのだろう」→「じゃあ餌付けを禁止しよう」というのは見るからに餌付けの禁止先にありきで理由を後付けしているようにしか見えない、あまりにも安易すぎる理屈だ。

さらに下の画像はこの日撮影したスズガモの群の一部。ここで餌付けが行われていないというだけでなく、元々スズガモは海水・汽水域で貝類などを捕食する習性が強いため、餌付く機会が少ない種であり、この群も餌付けとはまず無縁であると判断してよいだろう。にもかかわらず陸上に上がった姿はいかにも丸々と太っているように見える。動きもいかにも重そうなヨチヨチ歩きだ。カモというのは元々こういう鳥なのであり、昨冬盛んになされた、太って見えるとか動きが鈍いのが餌付けのせいだとする主張・報道がいかに人間側の主観に基づいたものであったかがよくわかると思う。

繰り返し書いてきたように私は餌付けを積極的に肯定も奨励もする気は全くないが、昨年来行われているような、事実に反することを無責任に流布しながら強権的に行われる餌付け禁止キャンペーンには明確に反対である。

a0044783_458022.jpg
スズガモの群れ
こうした姿を見て「太って飛べないのではないか」と思うのは人間側の勝手な想像に過ぎない。当たり前だがこう見えても実際には毎年しっかりと北の大地へ渡っていく。
[PR]
by ujimichi | 2008-03-23 21:21 | 餌やり規制問題について

2008年 01月 20日
「自然」と「不自然」の話
以前書いたことと一部重複するが、カモのことでちょっと書こうと思って忘れていたことがあった。

a0044783_20224443.jpg


都市公園で人馴れして足元まで寄ってくるカモの警戒心のなさについて、「不自然である」「本来の姿ではない」という言い方がある。このことが話題になる場合、「田舎の湖沼や河川では、カモは人を見るだけですっ飛んで逃げることが多く、警戒心の強さにびっくりさせられる」ということが「本来の姿」として引き合いに出されることが多い。これは確かに私の経験上もそうなので、まあそうかなと思う部分もある。

ただよく考えると、「あれっ?これもどっちが“正常”なのだろうか?」ともよく思う。というのも、田舎のカモの警戒心の強さというのは長年の狩猟圧によるものである可能性が高いと思うからだ。つまり、私の感覚ではこれはそもそも実はどっちも多分に人為的な要因が絡んでいる話だと思うわけで、「人への警戒心」という部分では強ちどっちが自然とか不自然とか、正常とか異常とかいうことは簡単には言えないのではないか?と思うのだ。考えようによってはどちらも自然といえば自然、不自然といえば不自然・・・とでも言おうか。

人間と接点のほとんどない海鳥などでは、むしろ「わざわざ寄っても来ないが近づいても逃げもしない」というどちらかというと「無関心」に近い反応を見せることが多い。この他にもシギチドリ類、小鳥類などでも、全く餌付けされているわけでもないのに、びっくりするほど警戒心がない個体に出会うことはあることだ。しかしこれについても、「人間との接点がない中で育まれた行動」という意味では一番「自然」なのかもしれないが、だからといって「全ての鳥がそうであるべきだ」と考えるのもそれはそれで全く非現実的な話だとは思う。

少なくとも私の目には、都市公園のカモは人間とネコや猛禽などはそれぞれ明確に区別して反応していると見えるし、「餌付いたからネコや猛禽に簡単に捕まる」という理屈は、「一つの可能性として想定された話」という域を出ないものではないか?と思っているのだが、つまりここで何が言いたいのかというと、物事の「正解」は一つとは限らないし、一般によく言われていることというのも、一面の真理を突いていることも多いかもしれないが、別の角度から見れば片手落ちであったり、或いは時には全く事実でなかったりと、実際はそんなに単純ではないということ。餌付いているカモを指して「堕落している」というのも一つの見方だが、「人の与えるエサを利用するのも野生の知恵」という言い方だってもう一つの見方として強ち間違いとも言い切れないのでは?などとよく思う。ともかく大事なのは、他人の言うことをただ復唱するのではなく、一人一人が現実をよく見て自分の頭でよく考えることなのだろうなあと思う。

まあとりあえずカモについては、「自然か不自然か」「正常か異常か」はさておき、「バンバン足元まで寄ってくる」と「すっ飛んで逃げる」の中間くらいが確かにほどよく幸せな、理想的な関係なのだろうなあという気はする。とはいうもののこれも一つの理想論であり、実際はある程度場所によって色々であっていいような気はするのだが。
[PR]
by ujimichi | 2008-01-20 20:18 | 餌やり規制問題について