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2012年 01月 27日
尾羽まで
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オオジシギ Gallinago hardwickii 神奈川県

A:「ジシギの識別は極力尾羽まで確認した上で判断した方がよい」

B:「ジシギの識別は尾羽さえ見れば答えが出る」

無論のこと、上のAとBは全く意味が違う。Aは確かにその通りだと思うが、Bは極めて誤認に結びつきやすい、誤った認識と言わざるを得ない。この辺りを今一度きっちり整理しながら物を考えていく必要があるだろう。

従来一般的には、「ジシギの識別では決定的な識別点は尾羽だけである」などと言われてきたが、この言い方がどうも受け取り手によっては(あるいは人づてに伝わるうちに)、AではなくBの方にあっさりと横滑りしてしまったり、AとBを曖昧に混同したまま論を進めてしまう傾向があるのは以前から非常に気になるところ。しかもこのブログでも再三書いているように、尾羽と言っても実際には野外では、開き方や重なり、見る角度、光線状態等々の制約により、「完全な」状態で見られることは稀(というか厳密には皆無に近い)であり、さらに実はパターン、形状、枚数に至るまで、個体差や多少の種間のオーバラーップがあることも知られている。

にも拘らず、全身像を随分と軽視して条件の限られた尾羽画像のみから拙速に結論を出してしまう、あるいは一旦尾羽から出した結論に見合いそうな情報ばかりを集めて辻褄を合わせようとしてしまう―といったことが起こる。つまり「尾羽=決定的」というイメージが根深く浸透しているだけに、かえって尾羽という特徴は諸刃の剣であることに注意が必要といえる。また全身像の見方が未熟な観察者は、尾羽の見方にも同様に不備があるケースがどうやら多いように感じる機会も多い。

本来は言うまでもなく、「尾羽だけ」ではなく「尾羽まで」極力確認した上での判断が基本であるはず。撮影機材の目覚しい進化と共に比較的容易に尾羽画像が得られるようになった現在だからこそ、こうしたことを今一度認識しなおすべき時期に来ているように思う。



by Ujimichi | 2012-01-27 21:43


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